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書 名 | スクリーンプレイ 「ジャッキー ブラウン」 |
製 作 | 1997年 | |||
編 集 | 池下 裕次、Beth Pollard | 会 社 | MIRAMAX FILMS | |||
仕 様 | A5版、160ページ | 監 督 | Quentin Tarantino | |||
発行日 | 1999年4月 | 脚 本 | Quentin Tarantino | |||
出版社 | 株式会社スクリーンプレイ | 出 演 |
Quentin Tarantino, | |||
定 価 | 本体1,200円(税別) | Bridget Fonda, | ||||
ISBN | 4-89407-222-x | Pam Grier, |
この映画のストーリー |
ジャッキーブラウンは、三流航空会社のフライト・アテンダント。武器密売人オデールの売上金をサイドビジネスとしてメキシコから運んでいるが、ある時連邦捜査官のレイに捕まり、5万ドルの違法金の持ち込みが見つかってしまう。オデールの逮捕を狙うレイは、ジャッキーから糸口をつかむつもりで近づいたのだ。レイはジャッキーに、金の出所と行き先を言えば、違法金持ち込みの件を見逃すが、言わなければ懲役刑だと脅しをかける。ジャッキーは何も言うことができない。 自分の情報がもれるのを恐れたオデールは、保釈金融業者のマックスに依頼し、高額な保釈金を払ってジャッキーを保釈させる。オデールは自分を守る為なら目的を選ばない男。ドジを踏んで警察に捕まった仲間を、同じように保釈させて殺したばかりで、今回も口封じのために銃を持ってジャッキーの家へ向かうのだった。だが、自分が狙われていることが分かっていたジャッキーは、逆にオデールに銃を向け、情報を言わない代償として、金を要求する。ジャッキーに従うしかないオデールはその条件を飲む。そして、ジャッキーは、捜査官をうまくまるめこんで、メキシコにある大金を運ぶ計画を話し、彼をその気にさせていくのだった。 だが、同時にジャッキーは捜査官にも、提示された条件を受け入れ、オデール逮捕に協力することを約束する。そして、オデールをおびき寄せるめに、金を運搬するように持ちかけるのだった。実はジャッキーは、ここで自分の人生を変えようと決心し、捜査官もオデールも出し抜いて、大金を自分のものにしようと計画していた。一目会った時からジャッキーに惹かれていたマックスは、そんな彼女の相談に乗るようになり、オデールの危険さも知った上で、協力を引き受けるのだった。 何も知らないオデールは、ジャッキーの計画通りに進めようとするが、彼の愛人の1人であるメラニーは彼を裏切って金を横取りしようと、彼の古くからの相棒、ルイスに持ちかける。ルイスはそんな彼女に不信感を抱くが、オデールにメラニーのことを話しても、オデールは彼女のことはコントロールできると思っているようで、たいして気にしない。ルイスはルイスで、長年の刑務所生活のせいか、勘が鈍っていて、いまいちピンときていない様子。 それぞれの思惑が交錯していく中、クライマックスの大舞台がやってくる。高まる緊張と疑惑。このサバイバルゲームに勝ち残るのは、一体誰なのだろうか? 監督はクェンティン・タランティーノ。タランティーノは1963年、アメリカのテネシー州に生まれ、ロサンゼルスの黒人の多い居住区で育った。俳優志望だった彼は、ビデオショップでアルバイトしながら学費を稼いでいた。彼はこのアルバイト時代に映画をたくさん見て、自身で脚本も書いていたのだが、監督デビュー作となった『レザボア・ドッグス』(92)が映画関係者の目に止まり、劇場公開されて一躍有名となる。監督第2作目となる『パルプ・フィクション』(94)ではカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。この『ジャッキー・ブラウン』が長編では3本目の監督作となる。監督以外でも、脚本や製作指揮といった形で携わった映画は数多くある。また、俳優としても自作の映画も含め、何本かに出演している。彼は、この作品で主演にあこがれの女優パム・グリアーを起用。原作の主人公が「ジャッキー・バーク」という白人女性だったのを、黒人女性に変更してまで、彼女の出演にこだわっていたようだ。また、ラストネームも「ブラウン」に変更しているが、これはパム・グリアーが、ヒロインを演じた『フォクシー・ブラウン』(74)という映画のタイトルからとっている。 |
編集部 二村 優子 |
この映画の英語について |
とりあえず「参った」というのがこの映画の英語を聞いてまず持つ感想である。文法ははちゃめちゃ、卑語・俗語は盛りだくさんと圧倒されること間違いない。またオデールなど機関銃のようにしゃべりたて、おまけにセリフも長いとくるから大変。しかし、逆に言えば、まさにこれこそ生の英語、本物の英語と言えよう。 文法がはちゃめちゃといっても、我々が犯すようなまったく意味が分からないという類のものではなく、当然のことながら基本的な法則からはずれることはない。中でも一番よくお目にかかるパターンは be動詞や疑問詞の省略(欠落)であろう。How you doing./I still scared./She my friend./You scared of me?/You get a chance to use it? といった具合である。それから ain't という表現や二重否定の使用も目立つ。ain't はもともと am not の短縮形であるが、are, is, have, has, do, does, did などほとんどの否定の短縮形に用いられるもの。二重否定は1つの文節の中に2つの否定語を用いて、否定を表す構文。例えば、前記の ain't と組み合わせて There ain't no demand とするものである。本来なら There is no demand/There isn't a demand とすべきところ。 ain't や二重否定はユーモアでわざと使う人もいるが、基本的にはガラの悪い表現とされており、そのガラの悪い連中がわんさと出てくるこの映画では当たり前のように使われているのである。 また卑語・俗語も至るところに使われている。ass なんて言葉は55回も登場する。その中でも多いのは you や me ですむ表現を your ass や my ass とするパターン。例を挙げると、Who was there for your ass(= you).、They are wating for my ass(= me). といった感じ。このほかにも fuck(ing)、damn(ed)、motherfuck(ing) という表現を使って、セリフを強調する場合もある。こういった卑語表現は数え切れないほど使われているが、これだけ頻繁に使われていると、もはや文章の強調というよりも、ガラの悪い表現が口癖になってしまっているという感がする。 ここまで書くと本当に英語の学習になるのか、という気がしないでもないが、反面教師として学べる点は多く、映画のセリフを理解したいときは、ニュース英語などの純粋培養の英語だけでなく、こういった英語にも触れておく必要がある。おまけに、ショッピングでの会話など、意外と使える英語も豊富で、英語学習においしい映画なのである。 最後に一言。この映画に出てくるような卑語・俗語は理解できることは大事だが、調子に乗ってこれらの表現を使うことはくれぐれも控えた方がよい。仲のよい友人に使うぐらいなら、まず問題はないが、生半可な知識で使うことは、かなりみっともなくてかっこ悪いし、さらには自分の身を危険にさらしかねないのでご注意を。 |
編集部 池下 裕次 |
評価項目 | 易しい → 難しい | |||||
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・会話スピード |
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・発音の明瞭さ |
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・アメリカ訛 |
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・外国訛 |
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・語彙 |
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・専門用語 |
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・ジョーク |
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・スラング |
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・文法 |
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合 計 | 31点 |