■この映画のストーリー
|
美しい月の光を浴びて白亜に光る、樹木に覆われたララビー家の大邸宅が巨大な画面に映し出されるや、オードリー・ヘップバーン演ずる可憐な少女サブリナの「昔々…ロングアイランドの北岸に…一人の小さな女の子が住んでいました」という、まるで小鳥のさえずりにも似た可憐な声が何処からともなく聞こえてくる。言うまでもなく、この語り始めは典型的なおとぎ話のそれであり、だからこそ舞台の中心となる大富豪、ララビー家の巨大な館とそこに仕えるお抱え運転手の娘サブリナの出現は、現代のシンデレラ物語を暗示している。事実、会社を幾つも経営するララビー家の二人の御曹司、長男のライナスと弟のデイヴィッドは物語が進むにつれていつしかサブリナに魔法にでもかかったようにすっかり夢中になってしまうのだ。
さて、このララビー家のガレージの二階の住人、サブリナは幼いころからデイヴィッドに秘かに想いを寄せていた。木に登ったり、物陰に姿を隠して彼の一挙一動を食い入るように見つめていたのだ。だが、オープンカーを乗り回すスマートなプレーボーイのデイヴィッドが、ポニーテールを背中にたらし、裸足で車を洗うヤボッたいそんな彼女に目をくれるはずもない。ある晩、ララビー家の恒例のパーティーでデイヴィッドがある女性とテニスコートで戯れながらダンスを踊っているのを見て、サブリナは失意のあまり車庫の中でガス自殺を図ってしまう。運よくライナスに発見されて一命は取りとめたものの、身分違いの恋に悩むサブリナの姿を見かねた父親のフェアチャイルドはデイヴィッドのことを諦めさせようと、彼女をパリの料理学校へ送ることにした。
二年の歳月が流れ、故郷の駅に子犬をつれて降り立ったサブリナは見違えるほど美しい女性に変身していた。パリ仕込みの作法とセンスで磨きをかけ、当時新進のパリのデザイナーであったジバンシーの華麗な衣装に身を包んだ彼女の姿は、汚れを知らぬ天使のように純粋な美しさで光り輝いていた。既に婚約していたデイヴィッドが洗練されたサブリナを見るなりすっかり夢中になってしまうのも無理からぬことである。引退した父親に代わって会社経営に心血を注ぐライナスが、企業拡張のためにも有力な企業の株主の令嬢と弟との結婚を成就させることは必要と考えて、デイヴィッドとサブリナを引き離そうと画策するが、彼自身もいつしかサブリナの魅力の虜になってしまうのだ。しかも、サブリナもライナスとデートを重ね、彼の実直な人間性に触れるにつれて知らず知らずのうちに彼に心が傾いていく。サブリナを愛することによって初めて知った愛の魔力の前に、策を弄して二人の仲を裂こうとした己の行為の愚劣さに気づいた彼は羞恥の念にかられ、すべてを放棄し、デイヴィッドとサブリナの結婚を正式に重役会で発表する決心をする。しかし、このとき既に兄とサブリナの気持ちを察していた弟のデイヴィッドは、それより先にライナスがサブリナと結婚するとの記事を新聞に載せてしまっていた。
サブリナをめぐってのデイヴィッドとライナスの静かな戦いは、「月に手を届かせてはいけない」と言うフェアチャイルドやオリバー・ララビーが象徴する古い世界の終焉を象徴している。階級意識に呪縛され、社会を「前の座席と後ろの座席があって、間には仕切りの窓がついている」リムジンのように考える彼らの伝統的な価値観は既に遠い過去の遺物でしかない。サブリナがパリで知り合った老男爵がいみじくも語っているように、今や人類が月に飛び立つ時代であってみればこそ、オードリーを世界のトップ・スターにのし上げた前作『ローマの休日』(Roman
Holiday, 1953) で王女から庶民に身をやつしたり、下町の下品な花売り娘から社交界の花形へと見事に変貌する『マイ・フェア・レディ』(My
Fair Lady, 1964) の変身物語は、かつてのおとぎ話のように決して夢の中の夢ではなく、いやおうなく押し寄せる新しい時代の流れ中で生まれるべくして生まれた必然ということができるだろう。
|
曽根田 憲三 (相模女子大学教授) |
|
■この映画の英語について
|
Audrey Hepburn の英語も Humphrey Bogart の英語もきわめて聞きやすい。我々はついどうしても新しい映画に目を奪われてしまいがちで、英語の勉強を兼ねて映画のタイトルを選ぶ場合にも映画館で上映されたばかりのものや、レンタル店に新しく並べられたものを使いたくなる傾向があるが、実は英語力をつけるために最も適した映画は1940年代から1950年代にかけてのものである。最近の映画と違って当時のせりふにはいわゆる俗語表現がほとんどないため、外国語として英語を学んでいる我々は、どの表現でもそのまま安心して身につけ、使うことができるのである。そのうえこの頃は映画の黄金時代なので、名画・名優が多い。気にいった映画を選び、シナリオを見ながら繰り返し見たり聞いたりする英語の勉強用には最適である。やたらとアクションを盛り込んで「見せる」映画よりも、せりふをじっくりと練ってあり、「聞かせる」映画が多い。音だけをカセットテープに録音して勉強すれば、感動の再現と共に表現力を自分のものにすることができる。
以下、表現面に焦点をあて、せりふをみてみよう。まず、この映画の内容を象徴する、サブリナの父親のせりふ "Don't reach
for the moon."とサブリナが後になって言い返すことば "No, father. The moon's reaching
for me."や、サブリナがパリから手紙の中で父親に言う "I have learned...a much more important
recipe." さらに父親が最終場面の近くで娘に言う "There's a front seat and a back seat
and a window in between."などには、「比喩」が効果的に使われている。似たような状況で、自分だったらどんな英語を使うか想像していただきたい。むずかしい単語ばかりが思い浮かぶのではないだろうか。
David のせりふの中には "I'll be eternally grateful." "I'll never let you
go away again." など、誇張表現が多い。Linus も "Here's a kiss from David." "I
enjoyed every minute of it."など、自分が使う場合を想定してみると、ちょっと気恥ずかしく感じるような表現を多用している。また弟を叱る場面では
"The last pair of legs that was something cost the family twenty-five
thousand dollars. " というように「足」で人間(美しい女性)を指している。実際我々は、このようなレトリックを母国語ではごく自然に、無意識に使っているのだが、英語を使う際には「かまえて」しまうため、なかなか口から出て来ない傾向がある。ネイティブの人たちと話をしていて「なんだ、こう言えばよかったのか」と思ったり、思わず笑ってしまってから、それが自分にも言えるはずの簡単な表現だったりすることに気づいた経験を持っている方は、せりふの中から使えそうな表現を「盗み取って」いただきたい。この映画は
glasses と champagne glass をかけるなど、「言葉遊び」に満ちあふれた、盗みがいのある映画である。 |
吉田 雅之 (神奈川県立外語短期大学専任講師) |
|
■目次
|
1. |
ララビー一家 |
The Larrabees |
……………… |
7 |
2. |
パリ |
Paris |
……………… |
17 |
3. |
政略結婚 |
An Arranged Marriage |
……………… |
25 |
4. |
舞踏会の花 |
The Belle of the Ball |
……………… |
41 |
5. |
壊れたガラス |
Broken Glasses |
……………… |
52 |
6. |
男子学生 |
Joe College |
……………… |
61 |
7. |
回復 |
The Cure |
……………… |
73 |
8. |
リベルテ号 |
The Liberte |
……………… |
86 |
9. |
気つけ薬 |
Smelling Salts |
……………… |
93 |
10. |
へんな帽子 |
A Silly Homburg |
……………… |
103 |
|
■コラム
|
ウィリアム・ホールデンについて |
……………… |
16 |
ビリー・ワイルダーについて |
……………… |
40 |
1950年代のアメリカの産業社会 |
……………… |
51 |
1950年代のアメリカの経済 |
……………… |
72 |
レストランにたどり着くまで1 |
……………… |
85 |
レストランにたどりつくまで2 |
……………… |
113 |
ハンフリー・ボガートについて |
……………… |
114 |
オードリー・ヘップバーンの生涯 |
……………… |
115 |
|
■リスニング難易度
|
評価項目
| 易しい → 難しい
|
・会話スピード
|
|
・発音の明瞭さ
|
|
・アメリカ訛
|
|
・外国訛
|
|
・語彙
|
|
・専門用語
|
|
・ジョーク
|
|
・スラング
|
|
・文法
|
|
合 計 |
11点 |
( 16以下 = Beginner, 17-24 = Intermediate, 25-34 =
Advanced, 35以上 = Professional )
|